2019年のゴールデンウィークは異例の10連休!
海外旅行も国内旅行に行った人も、家でゆっくりした人も、ずっと働いていた人もそれぞれの過ごし方で新しい元号を迎えた。
ストレスの多い現代社会で、10連休を取れることなど、サラリーマンにとってはあまりないことだ。
ゴールデンウィークがこんなに長い理由は「天皇の退位」「天皇の即位」があったからだ。
2019年4月30日で「平成」が終わり、5月1日から「令和」がはじまった。
ところで、天皇皇后両陛下が、被災地を周ったり、海外の来賓の対応や首相の任命をしているところは報道され、よく知っているだろうが、それ以外のことは知らない人は多いのではないだろうか?
「天皇」が報道されない部分で多くのことを国民のためにしてくれていることはあまりしられていないのだ。改元のタイミングであらためて勉強してみよう。
僕自身も学んだことで、知らないことが多数あり、恥ずかしくなった。日本独自の「天皇」についての知識を深めよう。
注意:一部歴史認識に触れる部分があるが、別に誰かを否定するつもりはない、ただ、自分の考えと認識がこれだというだけと捉えていただきたい。
目次
改元が盛り上がった理由

10連休になり、令和に改元されるだけで日常と変わらないと軽んじていたが、実際には、日本中が祝賀ムードに包まれて、驚いた。
なんで?そんなに盛り上がるのか?
昭和から平成になった時は全く盛り上がらなかった。
昭和天皇が崩御されて、改元があったが、国中が喪に服していたことを小学生の時の記憶に残っている。
すこしそんな曖昧な記憶をたどってみる。
- 学校・会社が休みになった(親父の会社だけかもしれないが)
- テレビは全部ずっと天皇の報道
- ドラマ、クイズ、音楽、バラエティなどの番組はすべて放送されない
- CMも放送されない
- レンタルビデオ店が大繁盛
あまり記憶にないが、自粛モードは1988年の夏頃に昭和天皇のご様体が悪化されてから、始まったようだ。小学生だった僕は、そこまでは覚えていない。
改元や即位よりもなによりも、「昭和天皇が崩御」された、悲しみに包まれ日本中が喪に服していた。
平成から令和への改元は生前退位だったことと、上皇陛下と上皇后陛下がこれまでの「国民の象徴」として、寄り添っていただいたことに「国民」が感謝していたからだと思う。
平成までは天皇が退位されるのは崩御(お亡くなりになること)によるものだった。先程も書いたが、昭和天皇が崩御されて、上皇陛下(明仁様)が天皇に即位された時は、国中が喪に服していて、お祝いムードはまったくなかった。
平成時代の天皇であった「明仁(あきひと)」様が崩御ではなく、退位され、皇太子であった「徳仁(なるひと)」様が即位された。
上皇陛下が生前退位を申しだされたことで、改元が「祝賀」ムードに包まれ盛り上がったことを20代の若い人たちは認識しておこう。
近現代の改元はいつも「天皇の崩御」という大きな悲しみと共にあったのだ。(厳密には、江戸時代までの天皇は1代で改元をよくしていたが、明治天皇から1代で1つの改元となった)
日本で一番自由がない

「日本国憲法」によって国民は基本的人権が尊重されている。この内容は以下のようなものだ。
国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
日本国憲法 第十一条より抜粋
国民には多くの自由が認められている。
- 職業選択の自由
- 移動の自由
- 転居の自由
- 思想信条の自由
- 表現の自由
- 選挙で投票する自由
これだけの自由を「日本国憲法」で認めている。好きな街に住み、旅行に行ったり、何を考えても、それを発信してもOKだ。選挙権も、もちろんある。
逆にいうと、これは国民に認められた自由であり、天皇には認められていない自由でもある。
国民がサラリーマンを辞めて転職する場合、法律で退職日の2週間前に、勤務先に伝えればよいとなっている。最短2週間で職業をかえることができる。
でも、「天皇が退位をされる意向を示された」前後には激震が走りあらゆる方面から、あらゆる意見が噴出していた。結果的に退位になったが、法律を変えなければいけなかったり、手続きだけでも相当な時間を要するものである。
さらにいえば、天皇を退位されても、上皇である以上、国民が持っている自由はないのだ。
83歳の高齢になるまで、ずっと現役で働きづめ。外に出れば、常に注目され疲れた顔ひとつ見せられない。いつも笑顔で対応され、被災地や介護施設などを訪問されても、現地の方々のお話に耳を傾け、気持ちに寄り添われる。
多くの人が、天皇皇后両陛下に勇気づけられて、前向きになれた事は紛れもない事実である。感謝してもしきれない。
そんなことを30年間やり続けなければいけない、お立場であったということを改めて理解しておこう。
あまり報道されないが、天皇は”祭祀王”

実は日本人は宗教心にあつい?
正月に、”門松”や”しめ縄”を飾る。(最近減ってきてるけど)
年があければ、多くの人が初詣や、初日の出を拝みに出かける。
これは無宗教の人でも、日本の文化としてやっているかもしれない。
実はこれすべて「神道」の宗教行為なのだ。自覚してない人も多いけど、日本人はものすごく宗教心にあつい、といえるかもしれない。
年が明けて、「あけましておめでとうございます。」と言わない人は少ないだろう。
「正月」は、家に「歳神様」をお迎えし祝う。本来は宗教的な行事なのだ。
日本人は昔から、あらゆるものに「霊魂」があるという考え方をしていて、「作物の霊魂(いなだま)」「人間の霊魂(たま)」は一つのものと考えていた。
人間が死ぬと魂は別の世界に行き、一定期間がすぎると個人の区別がつかない「祖霊」という大きな集団でになる。いわゆる「ご先祖様」になると考えられていた。
春には「田の神」秋には「山の神」となり、子孫の繁栄を見守ってくれていると信仰してきた。
その先祖様が正月には「歳神様」になって、家にやってきて、その年の豊作と家族の健康を約束してくれる。
門松、しめ縄、しめ飾り、鏡餅にも、歳神様にまつわる意味があるのだ。
「ご先祖様」が見守ってくれていると思っていない人でも、正月におめでたいと思う気持ちは持っているだろう。
この正月を祝うことは日本の神道の宗教的行為で、その宗教心を司る最高の権威が天皇なのだ。
1月1日 午前5時30分
皇居で「四方拝(しほうはい)」というものが1月1日午前5時30分に行われる。
一年の最初の宮中行事で、国家国民の安寧(平和で穏やかであること)を天皇が伊勢神宮をはじめ、いくつものゆかりの神社に遥拝(はなれたところから拝むこと)される。
毎年。正月の未明に天皇は国民を思い、祈ってくださっている。
昔から、天皇の最も重要なつとめは祭祀をおこなることである、と言われている。
「四方拝」「祈年祭(きねんさい)」「春秋の皇霊祭(こうれいさい)」「神嘗祭(かんなめさい)」「新嘗祭(にいなめさい)」など、年間で30回も皇室祭祀を行われる。
古代は政治的な権力も天皇が持っていたが、氏族と部族が別れた時から、天皇は権威となり、政治的な権力は実質的に持たなくなった。
わかりやすく言うと、キリスト教カトリックのローマ法王のようなイメージだ。天皇は祈ることがつとめで国民の平和を祈ってくれている。
- 改元が盛り上がったのは、生前退位だったから
- 昭和→平成の改元は国中が「喪に服していた」
- 天皇は国民ではないから「自由」がない
- 天皇は祭祀王:欧米のローマ法王的存在
- 正月を祝う風習は「神道」の宗教
- 神道の宗教心を司る最高の権威が天皇
- 正月から天皇は国民の平和と安全を祈ってくれている
- 年間30回も季節ごとに祭祀を行っている
天皇は天照大神の子孫

なぜ天皇は祭祀王なのか?
ある古代神話から来ている。今回の改元にあたり一部説明があったが、天皇は天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫である。
天照大神は太陽神(女神)だが、スサノオノミコト(神:男性)が乱暴すぎるので、怖くなって引きこもりになってしまった。
太陽神である天照大神が引きこもってしまったので、世界は真っ暗な闇に包まれる。困った神々が「鏡」と「曲玉」をつくって祝福し、天照大神が引きこもっている入り口で、一人の神が踊るとそれを見ていた他の神々が爆笑した。
それを聞いていて、天照大神は不思議に思った。
自分が引きこもって、世界が闇に包まれているのに何がそんなにおもしろいのかと。そして、気になって顔をだした。
踊っていた神が「あなた様にも勝る、尊い神がおりますので、喜び笑って踊ってました」と言いながら、天照大神に「鏡」をみせた。
天照大神は「鏡」をのぞこうとして前に出てきたところで、他の神に外に引き出された。そして太陽がのぼり世界に明るさが戻った。
天照大神を引きこもらせてしまった、乱暴すぎるスサノオノミコトは出雲の国に降り、ヤマタノオロチの退治を引き受ける。
倒したヤマタノオロチの体の中からできてたのが、「剣」だった。
この「剣」をスサノオノミコトは天照大神に献上した。
「神鏡」「曲玉」「宝剣」=「三種の神器」
その後、天照大神の孫のニニギノミコトに、天照大神が「三種の神器」を授ける。
この時に天照大神は
「この鏡を私の御霊として、私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。」と言っている。
ニニギノミコトのひ孫が初代・神武天皇であり、「三種の神器」は代々の天皇が受け継いでいる。
天皇は国民の平和を祈っているのに、なぜ戦争をしたのか?

象徴天皇
ここまで読んでくれた方は、少し違和感を感じているかもしれない。確かに平成の天皇であった、上皇陛下や戦後の「人間宣言」後の昭和天皇は、国民の象徴であり、戦争を牽引するようなことはもちろんない。政治に対しては権限を持っていない。
ご存知かと思うが、天皇は
国会の指名に基づいて、「内閣総理大臣」
内閣の指名に基づいて、「最高裁判所の長たる裁判官」を任命している。
内閣総理大臣の任命はニュースで報道されるから見たこともあるだろう。
戦後日本国憲法が施行され、象徴天皇と定義されている。それを学校で習うから、戦後の天皇についてはイメージができるが、戦前はどうだったのだろうか?
正直なところ、昭和54年生まれの僕も、戦前の天皇については全然わからなかった。明治や大正は、天皇が率先して戦争をしていたのか?とも思っていた。
大日本帝国憲法の第一条
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
国立国会図書館 より抜粋
大日本帝国憲法には、確かに国を天皇が統治する、と書いてある。この文言の捉え方は諸説あり、ややこしいので、一旦無視する。
事実を見ていこう。
明治時代にも、国会が機能していたのはご存知だろう。
初代内閣総理大臣は伊藤博文である。つまり政府が存在する以上、行政と立憲、司法すべてにおいて、天皇が権力を持って、やりたい放題できるような状況ではないのだ。
少し歴史をさかのぼろう
では、天皇が実質的に権力を持っていた時代はいつなのか?を考えてみてほしい。
江戸時代か?
安土桃山時代か?
室町時代か?
鎌倉時代か?
平安時代か?
奈良時代か?
飛鳥時代か?
僕の見解では、遅くとも「征夷大将軍」が存在してからは、天皇に実権があった時代はなかったと考えている。
もっと言うと、平安時代に武士が台頭し始めたことで、武力が勝る武士が、権力を、氏族としての権威だけが天皇に残ったと考える。
幕府があった江戸時代まではそれでいいが、明治からは幕府がないではないか?という声が聞こえそうだ。
確かに幕府ない。かわりに明治政府ができている。仮に、明治政府に実権がなく、天皇にあったとした場合に、「明治天皇は議会によって可決された法律を拒否したことが一度もなかった。」という事実がある。
明治天皇が実権を持っていたとしても、その実権を行使していないことになるのだ。
天皇は神?「人間宣言」ってなに?

天皇が神と教えたのは約10年間だけ(定かではない)
支那事変から大東亜戦争に突入していく中で、「総戦力思想」に基づいてモノもヒトも戦争に総動員される。
それをやりやすくするために国民統合イデオロギーとして、天皇を神格化させる。そして、ついに昭和14年の小学校の教科書に天皇は「神」で国を治めている。と書かれるようになった。
正月を祝う国民性を利用して、「天皇のために」「お国のために」と考えるように、小学校から洗脳しはじめたと言っていい。
昭和天皇も戦争には反対だったのだが、戦争のために、シンボルとして政治利用されたのだ。
それにより、特攻隊や回天といった常軌を逸した、ヒトの命を武器にする戦術が使かえるようになってしまったのだ。
GHQの勘違いの弊害

アメリカはそんな日本の戦力を恐れた、「特攻」「回天」「天皇陛下万歳」と言って自決する。沖縄での激しい抵抗。
日本軍の強さの原因がわからなかったのだ。
GHQが出した結論は、天皇=神と、教育が浸透していること。それが戦争に強かった理由だと思ったのだ。
日本を弱くする為には、天皇を神ではないと言えば、崇拝するこころがなくなり、弱体化できると考えたのだ。
だから、GHQは天皇に人間宣言をさせた。
そこには欧米的なGODと日本的な神の違いがある。欧米の神は唯一無二だが、日本の神は神道がベースなので、複数の神を認める文化があった。
小学校で天皇=神と教えられた世代以外は、誰も天皇=GODとは思っていなかった。
国民の平和と安全を願う祭祀王と思っていたのだ。
また、GHQは天皇の存在を国民から遠ざけるために、天皇にまつわる祭日の名前を変えてしまう。
- 春分の日=春季皇霊祭
- 秋分の日=秋季皇霊祭
- 勤労感謝の日 =新嘗祭
アメリカはそれだけ、日本の戦力をおそれ、その原因が全て天皇にあると考えた。
そのため、本来は天皇の先祖である、太陽神を祀る日である「春季皇霊祭」と「秋季皇霊祭」を謎の名前にしてしまう。
新嘗祭も天皇が「国平らかに、民安かれ」と祈られる儀式が行われている。
GHQのせいで天皇の”最も重要なつとめ”が日本人にわかりにくくなってしまったのだ。
- 天皇は天照大神の子孫
- 三種の神器の持ち主で平和を祈っている
- 象徴天皇が内閣総理大臣と最高裁判所長官を任命している
- 天皇が実権を握っていたのはせいぜい平安時代まで
- 戦争に勝つために「天皇は神だ」と教えはじめた
- アメリカは日本が強くて怖かった
- アメリカは日本が強い理由はすべて天皇の存在だと思っていた
- アメリカは天皇にまつわる祝祭日を意味がわからない名前に変えた
天皇が戦争をしたくなかったのなら、誰が戦争をしたがったのか?という議論についてはココではあえて触れない。
総まとめ
- 改元が盛り上がったのは、生前退位だったから
- 昭和→平成の改元は国中が「喪に服していた」
- 天皇は国民ではないから「自由」がない
- 天皇は祭祀王:欧米のローマ法王的存在
- 正月を祝う風習は「神道」の宗教
- 神道の宗教心を司る最高の権威が天皇
- 正月から天皇は国民の平和と安全を祈ってくれている
- 年間30回も季節ごとに祭祀を行っている
- 天皇は天照大神の子孫
- 三種の神器の持ち主で平和を祈っている
- 象徴天皇が内閣総理大臣と最高裁判所長官を任命している
- 天皇が実権を握っていたのはせいぜい平安時代まで
- 戦争に勝つために「天皇は神だ」と教えはじめた
- アメリカは日本が強くて怖かった
- アメリカは日本が強い理由はすべて天皇の存在だと思っていた
- アメリカは天皇にまつわる祝祭日を意味がわからない名前に変えた
この記事が少しでも、天皇の存在について理解する国民が広がることに貢献することを心から願っている。天皇が行っている祈りについてもっとマスコミが祝祭日に報道してくれれば、国民ももっと日本の文化に興味をもち、歴史を学ぶきっかけになる。
日本の文化を知らないと、海外に発信もできない、聞かれても答えられない。そんな恥ずかしいことがないようにしたい。
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