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第三話:仕事とプライベートのバランスが取れない

暗黒時代到来

店長として結果がではじめて、昇格が近づいてくるが、その前に大きな試練にみまわれる。

2店舗の店長をやるという前代未聞の状況に追い込まれる。

それでもなんとか乗り越えて、昇格を勝ち取り、ついに、念願のOFC(他のチェーンはSV)に昇格!昇格合宿は確か約1週間の座学。おそらく成績はトップだったと思う。

昇格と同時に結婚し、人生の絶頂を迎えたが、それは悲劇のはじまりでもあった。この時期は仕事でもプライベートで一番つらい時期だった。

辞令なき店長!

2店舗の店長

店長時代に最大の試練が訪れた。

すぐ近くにオーナーさんのお店があった歩いて3分という近さ。そのオーナーさんが契約更新しないことになった。

次のオーナーが決まるまで、直営店になる。

いくらマンモス企業でもいきなり、店長候補をホイッと配属できるほど、潤沢に人がいる訳ではない、次の店長に辞令を出すまでの”ツナギ”が必要だった。

僕の直属の上司の更に上の上司(以下部長)から、電話でフォローに行ってくれと軽くいわれた。

それほど気にせず、ちょっと手伝うくらいだろうと思っていたが、全く違った。

オーナーさんと関係が深いアルバイトやパートがどんどん辞めていた。

オーナー店よりも直営店の方がルールが厳しくなるから、それが嫌だったのもある。

売り場もシフトのボロボロなので、一時的にだが、2店舗の店長をすることになってしまった。

この時期は家にも帰れず、事務所の机で寝て、シフトが安定している時間帯に漫喫でシャワーを浴びる。たまに着替えに帰る生活。

過酷過ぎて弱音が出そうになっていた時に、直属の上司が言いたいこと言っとけよ。と部長に電話をしてくれた。


僕は遠慮なく部長に直接要望した
「いつになったら、人を送ってくれるんですか!なんで僕が2店舗も店長やってるんですか!!」

部長は「おまえを他の店舗の店長にした覚えはない!辞令も出してないだろ!」

この言葉に僕は切れてしまった。
「じゃぁ、なんで俺が今、この店にいるんだよ!!!ふざけんな!」ガチャ!


ついに昇格!昇格研修の合宿へ

新たな旅の始まり

2店舗の店長もなんとかのりきり、前オーナー店に新しく店長が配属されて元のお店だけをみることになった。

程なくして、部長が来店し、昇格試験の合宿へ参加の許可がおりた。

入社から3年以内に昇格という目標は、なんとかクリアすることができた!

そして、この昇格のタイミングで、大学時代から付き合っていた彼女と結婚した。

これは自慢だが、研修の合宿ではトレーナー(先生)からの評価はトップだったはずだ。その証拠に、東東京エリアという日本で一番売上が高いエリアでアシスタント経験ゼロで僕だけが配属されたからだ。

ただ、欠員が出ていて、ストレス耐性が強い奴が僕だったという説もあるが、それは無視する。

研修でどうして僕が良い成績を取り続けられたのか?というテクニックを紹介しておこう。大企業にしか通用しなかもしれないですが。

研修必勝法!

研修にはだいたい情報通の人がいる。先輩や上司から情報をとるのがうまい人がいる。そういう人と仲良くなる。

情報通の周りにはコミュニティができる。2つくらいのコミュニティに仲間意識を持ってもらえるようにすれば、おそらく一番情報を持っている人になれるだろう。

講義形式の座学を聞く時は、自分が話している側だったら、どんな風に聞いている人を心地よく思うか?高く評価したくなるか?を考えて、あいずちやメモ、目線をあわせるなどを、確実に印象に残るように、さり気なく、アピールする。

これで高評価間違いなしだ!講義を聞いている時に話している人の気持ちを考えて聞いている人間はほぼ皆無だろう。

日本一のパワハラ上司に対して、キレかえす!

キレる上司には倍返しだ

配属されたのは、日本一のパワハラ部長が取り仕切るエリアだった。その部長のすごいところは販売数や前年伸長率で”日本一”を取ることをずっと狙っていることだった。

配属すぐにお弁当を「試食販売しろ」という指示が来た。そして、お弁当の販売数を前年の2倍以上にしろ!という。

当時、お弁当の賞味期限は1日も持たない。オーナーは廃棄になるのが怖くて去年と同じとか、前日と同じくらいの量を発注するのが通例だ。

なかなか、オーナーの意識を変えてチャレンジしてもらうのは難しい。ただし、これをやらないといけないのが、僕のミッションだった。

いろんな方法を使って、とにかく注文を入れてもらうことはできた。売り場も徹底的に作り込んで、試食販売する人も決めたし、自分もフォローに入る。

ちなみに、担当している店舗は7店舗。

いろいろ苦労はしたが、なんとか2倍を達成し、エリアで全国1位をとることができた。その後も、あらゆるタイミングで売り込み強化が入る。

日本一を取りに行く時は、朝・昼・夕・晩で部長から電話がかかってくる。ちなみに、毎回部長は”キレ”てくる。よほどご機嫌なことがない限り、いつもキレてる。

しかも毎回しつこくキレ続ける。

ある時、あまりにしつこかったので、短気な僕は部長に電話でこう言い放った。
「うるさい!数字変えたらええんやろ!黙って見とけや!」

全然言うこと聞いてくれないオーナーのお店の駐車場で・・・・

やるしかないので、なんとか数字を作り続けた。週6日出勤、月に2回土曜が休み。仕事の効率が悪かったので、報告を日曜日にまとめてつくっている状況。

ほぼ毎日働き続けていた。平日は相変わらず、朝から晩まで働き詰め。

新婚ホヤホヤなのに・・・

当時は仕事の仕方がわかってなかったというか、非効率さに満足していたところもあったと思う。

プライベートが消えた

詳しい事は書かない

結論からいうと、大学時代から付き合って合計6年以上も一緒にいた女性と結局、離婚した。そらそうだ、働き続けて帰ってきたら、なんの話も聞かずに風呂に入って寝る。休みの日にも仕事をしているか寝てる。

離婚して考えたことは

目標通り、3年以内に株式会社セブン-イレブン・ジャパンのOFCになれたけど、なんのために働いて来たのか?

よくわからなくなった。

「幸せになるため?」

違う!

「親父を抜くためだ!」

このまま、やる気を失っていたら、抜けない!

仕切り直しだ、次に結婚するなら、働くことに理解をしてくれる人を選ぼう!
あとは、せめて土日祝日が休みの会社にしよう。

危機感と可能性

ITバブルは弾けたが、サイバーエージェントが成長軌道に乗り、IT業界が確実に拡大しつづけていた。

そして、これからも拡大してつづけることは明らかだった。

iPhoneも発売され、その衝撃は半端なかった。でも、WEBの知識ゼロ。リアルにしか強くない。

WEBの知識をつけておかないと、起業する時に失敗する。WEBの業界を知らないことがこの先、大きなハンデになる時代が来ている!という強い危機感を感じるようになっていた。

WEBの業界で起業した方が、成功確率が高そうだ!と思い、WEBの業界に飛び込むことにする。

みつけた!理想の会社だ!!

理想の会社

WEB系の会社を探していたが、仕事が全く想像できなかった。

WEB系だけど、営業職を採用している会社で、儲かりそうな事業にはどんどん投資している会社を探していた。

1社渋谷で見つけた。WEBの会社なのに、iphone用のバッテリーを海外メーカーから担いで代理店販売をしている会社。

見つけた!

しかも、営業職を募集している!!!

他にもかなりたくさんのよくわからないWEBサイトをいくつも持っていた。(当時は事業のスキームがわかってなかったから謎だった)

儲かりそうな事業なら、投資してくれそうなベンチャー企業だった。

この会社しかない!絶対に合格して、WEBの世界に入る!
と誓った。

1次面接は、人事マネージャーとバッテリー事業の責任者。二人とも若い!そんなに自分と年齢は変わらない。

ベンチャーだ!

1次面接は難なくクリア

2次面接・子会社の社長の面接。
この出会いが僕の人生をよい方向へ導きはじめる!

僕はハゲているので、ヘアスタイルは坊主なのだが、2次面接の子会社の社長もハゲたおっさんだった。

その瞬間思った、「絶対受かった!」

2次面接が終わって帰り際に、社長から「一緒に働きたいと思いました」と言ってもらえた。

後日の3次面接は親会社の社長と人事マネージャー
入社してから知ったことだが、この人事マネージャーがかなり僕をおしてくれていたそうだ。面接に同席してくれたおかげもあり、面接終わりで受かったと確信していた。

結果はまさかの

不合格

普通はここで引き下がって、他を探すんだろうが、僕は諦めきれなかったのと、すべての面接で絶対に評価が高かった自信があった。

「今後のために、理由を聞きたいので、子会社の社長に時間をもらいたい!」

あまりにも納得がいかなかった僕は子会社の社長にアポをとった。今考えればよく不合格にした人間に時間をつくってくれたものだ。

不合格の理由はこれだった
「採用を予定していたバッテリー事業が不調で採用の予算がない。一緒に働きたいと思ったが、申し訳ない。」

お金がなかったのだ、それはどうしようもなく、仕方がないことだと納得できたので、社長に丁寧にお礼を言って帰った。その時のお礼の言葉でこんなことを言ってたらしい。

「ご縁がなくて、今回は不採用になりましたけど、働いてる限りどこかで、なにかお仕事を、ご一緒することがあるかもしれませんので、その際はどうぞよろしくお願いいたします」

あーこれから、どうしよかな〜と考えながら、帰りの電車に乗っていたら、

携帯が鳴った。

不合格にした会社からだ。なんか忘れ物したかな?と思ってでたら、もう一回面接をしようという話だった。

「他の事業で予算を工面するけど、希望年収よりも相当低い。それでもよかったら面接をするけどどうか。そのかわり、結果を出したら、絶対に給与は上げる!」

4回目の面接でなんとか合格を勝ち取ることができて、WEBの世界の可能性を体感することになる。

新規事業を軌道にのせろ!

新規事業を軌道に載せろ

ついにWEBの世界だ!結果を出すぞ!と入社したが、配属された事業は、新規事業で立ち上げたBtoB通販事業。会社の中で唯一のリアル事業だった。

それでも、この事業で結果を出して、WEB側に行くぞ!MBOからIPOだ!と夢を見ながら、また、アホみたいに働き出した。

朝は誰より早く出勤して、終電まで働くような日々がまたはじまった。なにせ新規事業だから、KPIもあるようでない。全部整備していかないといけない。報告する内容も全部考えないといけない。

上司や同僚とホワイトボードに書いては消し、消しては書きを繰り返し、とにかく試行錯誤をしつづけていた。

セブンイレブン時代の「仮説と検証」がここでも活かされた。

タフな働き方を強要された訳ではないし、むしろ心配されたくらいだ。でも、この会社は土日祝日が休み。それだけでもありがたかった。

結果がでなくて、心が折れはじめる

出せない結果

やれども、やれども、赤字を抜け出せない。採算ラインに届かない。どうすれば脱却できるか全然わからない。売上をあげないといけないが、営業人員を増やして売上をつくっても利益率が低く、余計に赤字になる。そもそも人員など増やせる訳がない。主要事業でも人不足なのに。

広告費を増やしても、顧客はそんなに増えない。

打つ手がないように思えてきていた。

 

なれない環境とタフな働き方を続けていたことと、なにより「ヤル気の源泉」となる「結果」がでないことが、どんどんモチベーションを下げていった。

 

この頃、「片耳聞こえない」「味覚障害で味が全くわからない」という極度のストレス状態になっていた。

社長に謝って辞めようかと思ったほどだったが、そんな時に、一緒にやってきた上司が退職することになり、事業全体の責任を持つことになった。

入社して、9ヶ月くらいのことだ。

不安もあったが、やってやる!絶対に結果をだしてやる!とまた、闘志を燃やしはじめた。この時に導入したツールが僕の人生を大きく変えた。

「Salesforce」

世界シェアNo1のCRM(Customer Relationship Management)ツールだ。