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第一話:新卒で就職した会社から、転職した理由

転職した理由

2019年4月に起業した。

これまでの仕事は起業することを目標としてきたので、念願かなったというかやっと決心がついたというところだ。

もともと、このサイトは作るつもりはなかったが、元部下や後輩、同僚でキャリアに悩んでいる人が多くいたので、ヒントになるものを提供したいと思い作ることにした。

僕の経歴はトップクラスではないが、出世は人よりすこし早い方だったと思い込んでいる。最大のコンビニチェーンの本部コンサル、WEB会社の事業責任者、人材会社の事業企画マネージャーとマネジメント側の経験はしてきている。

自分なりに頑張ってきたと思っているが、ものすごく辛い時期もあった。一緒にお酒を飲みに行かないと話さないことだが、それを書くことで、刺激を受けたり、参考になることが少しでもあれば、幸いだ。

東京で働きたい!!

新卒で入社した商社は非鉄金属の専門商社だった。

■会社の特徴■
当時創業80年
無借金経営
取引先は自動車メーカー及び系列、大手家電メーカー
三菱マテリアルの代理店
同族経営

中小企業にはめずらしい安定企業だった。

大阪出身だが、どうしても東京で働きたかった。

 

日本経済の中心はやはり東京であり、圧倒的な企業数、人口、それだけ優秀な人、新鮮な情報が溢れていると思い、そこに飛び込めば自分の成長が加速すると思っていたからだ。

 

最終面接の時に合格と聞いて僕が泣いたことで、社長や役員が気に入ってくれたようで、東京本社配属になった。

めちゃくちゃ嬉しかった。よし、思い切り結果を出してやる!!

 

親父を超えてやる!絶対負けたくない!!それしか考えてなかった。とりあえず同期で絶対一番になる!と本気で思っていた。

 

社会に出たら、”結果が全て”。

 

「親父が大学まで出してくれたし、高卒の親父を抜かないと申し訳ない」とやる気まんまんだった。

先入観を捨てろ!

固定観念を捨てろ

老舗の商社・安定企業だったからなのか、ほとんど新規開拓をやっている人がいなかった。僕も最初はそんなものなのか?と思い、既存の顧客を回していたが、暇すぎた。

 

展示会に出かけたり、テレアポをとって新規開拓をするようになった。

 

営業が先が自動車部品メーカーや家電のメーカーだったので、お客様が工業団地に入っていることも多々あった。同じ工業団地内にあるメーカーに飛び込みで営業をかけまくった。

 

受付のきれいな女性に「アポイントがないと・・・・」と断られることもあったが、そんなことでは引き下がらない。

一度外に出てその会社に電話して、担当部署の方にアポをとる。

再度受付に行って「○○さんと約束させていただいてます。」という具合にゴリゴリに営業していた。

 

扱っている商材が、もっと大きな会社に売れるかもと思ったら、同期と競ってテレアポした。アポが取れたのはマツダとトヨタ系列の部品メーカーとホンダだった。

結局、テストでサンプル提供まではこぎつけたが、継続的な取引までは取れなかった。

でも、どこでも電話して良さを伝えられれば、わかってくれる。電話口でそれを伝えられるスキルがついていることに気づいた。

会社はでかいけど、結局、会うか会わないかの判断は担当者がどう時間を使うかだけの話なのだ。

断るのは向こうの判断で、電話をするかしないか、提案するかしないかはこちらの自由だ。

営業で学んだこと
  • 必要か不要かを判断するのはお客様で、営業がするのは間違い
  • 教えるか教えないかを判断するのはお客様で、営業が聞かないのは間違い
  • チャレンジすると気づくことが絶対にある。チャレンジしないと気づけないことに気づける。

とにかく、毎日、社内システム(当時は真っ暗な画面に黄緑の文字と黄色いカーソルが点滅しているような、Windows98の画面)で同期の売上をチェックし勝ってる!負けてる!と一喜一憂していた。

商材が特殊だったので、新規の受注を取れるのは入社3年目が最短と言われていたが、1年目で新規受注、量産品を獲得することができた。

調子に乗りはじめる

お調子者

新卒当時は寝坊しまくっていた。(今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいだ)

ちゃんと理由がある、残業していると10時、11時に上司から、「ここで飲んでるから来い!」と電話がかかってくる。

無視しても何回もかかってくる。

仕方なく行く。

飲みすぎる。

寝坊する。

 

遅刻しまくってたけど、怒られたことは一回もなかった、いや、一回だけ、事務の女の人に注意された。

「遅刻してきてるくせに、なんでお前が一番機嫌が悪いんだよ!」って笑
単純に起きれなかった自分にキレてたんだけど。

心の中のどこかで稼いでいるし、めっちゃ働いていることもみんな知ってるしいいでしょ?と甘えていたのだろう。

新規開拓をしない理由に気づく

新規開拓をしない理由

新規開拓をやっていない先輩が多かった。今となっては既存で忙しかったのかもしれないとも思えるが、その当時は理解不能だった。

結果を出す・売上を伸ばす為には、新規をやるしかないと思っていた。

でも、”新規・新規”と言って電話をしていたのは、僕ともう一人の同期くらいだった。

 

入社から1年経ち、初めての昇給・・・・

 

ワクワクして開けてみると

 

昇給額 5,000円・・・

 

これが現実か・・・

 

数千万の売上、数百万の利益を出しても、自分に入るのはこれだけか・・・・

 

上司にも先輩にも聞いたが、昇給は年に1回、5000円か、10,000円のどっちか。

役職手当も数千円。上司や先輩を追い抜くことは基本あり得ない。

その時初めて新規開拓をやらない理由がわかったのだ。

 

新規開拓をやってもやらなくても5000円しか給与変わらない。

やらない方が”楽”と思っているからだ。

年功序列よ、さようなら!

年功序列よさようなら

尊敬している先輩が2人いたが、ちょうどこの頃に2人とも辞めた。理由は簡単でもっと成長できる、給与の高い会社に転職したのだ。

僕も成果出したら、その分評価されたい!

もっと成長意欲の高い人と切磋琢磨してどんどん成長したい!

そう思うようになった。

そうじゃないと親父は抜けない!

3年目を迎える2月に、当時、厳しいといわれていたセブン-イレブン・ジャパンに転職する。

あんなブラック企業やめとけって!絶対後悔するぞ!!って。

超長時間労働売上ノルマがきついことが有名な時代だったのだ、転職に賛成する人は誰もいなかった。

 

でも、後悔するかどうかは入らないとわからないし、僕は厳しい環境を求めていたから、みんなが言うことは僕にとっては魅力だった。

タフな会社にいる人と一緒に働いてみかった。自分がどこまで通用するのかを試してみたかった。

 

その頃に、親父がヘッドハンティングされて、別の小さな会社の役員になったと聞いた。親父に負けるわけにはいかない、役員を超えるのは社長しかない。

この転職の時に初めて起業を意識した。

 

店舗に入ると3年間はお店での勤務になる。コンビニの店長といっても、売上不振店でも一日50万程度はある。年商で2億の経営をノーリスクで体験できる。これは大きな魅力だった。

安定で楽ちんな商社を退職して、株式会社セブン-イレブン・ジャパンに転職した。この決断が僕の人生を大きく変えることになる。

豆知識 当時のオフィス環境は今と全然違う

売上・仕入れ・経費計上はすべて手書き伝票を営業担当が書く
手書きで書いた伝票をPCに入力
PCは課に1台(6人くらいで順番に1台のPCを利用する)
喫煙はどこでもOK(テレアポしながらタバコは当たり前)
夏でもネクタイは絶対着用(クールビズなんてない)
五十日(ごとび)5と0がつく日は集金(手形で支払う会社に受け取りにいく)

*千代田区が路上喫煙禁止にし始めるくらいのタイミングでなんでもありだった。

*会社でPCを支給してくれないので、自分で買ったPCを社内LANに勝手に接続して、利用していた。300人の会社で僕ともう一人だけPCを持ち込んでいた。

このページはプロフィールの第一話です。第二話はこちら↓

第二話:ブラック企業だけど、望んでいた環境